非日常だった山の中から日常をお届け

熊本県へ移住後に思ったことや考えをまとめるBlog

日々思う事(保育園に送り出す時)

こんにちは、うめしんです。

 

ちょっと思う事があってエントリしてます。

この4月から子供二人が保育園に通い始めました。

非常に子供の自主性を重んじている、言葉では薄っぺらいですが「素晴らしい」保育園に巡り会えました。入園出来た事にとても感謝しています。

 

特に食育には熱心で、毎日お昼ご飯は栄養士さんを中心としたチームで手作り、しかも15時のおやつも手作りなんですよ。

お昼ご飯には大人でも食べていない人もいると思いますが、黒米や赤米をブレンドした米飯食の食事です。

我が家は妻がそのあたりに少し敏感なので、同じ様な感覚でありがたく思います。

 

そんな毎日に思うことを二つ。

 

一つ目。

全く未だに解決出来ないのですが、幼少期の記憶が無い事。

良し悪しは別にして、子供たちを見る機会はあるにも関わらず、どうのこうのと意見を言えない事が非常に悲しいんです。

母、祖母と一緒に通園していたのか、バスだったのか?

泣き虫だったのか、いじめっ子だったのか?

どんな食べ物が好きだったのか?

全く記憶にありません。

子供のご縁があり常に思う事、何も覚えておらず、投影する事すら出来ないんです。

この辺りが成長した後に拗らせた原因かも?とも思えます。

 

二つ目。

お母さんしか来ていない事。

当たり前でしょ?

と言われるかも知れませんが、「雇われ人」を辞めてつくづく感じる事です。

就労時間でしょ、当たり前じゃん。

 という方が大半を占めると思いますが。

 

そんなに稼ぎの良い仕事をしてるんでしょうか?

自分たちを選んで来てくれた子供ですよ、

一定期間の話ですよ、

子供を優先しても良い時期なんじゃないですか?

 

って思う次第です。

 

お母さんっていう立場の人は、朝からご飯を作って、掃除をして、子供を幼稚園・保育園に送り出し、なんて朝からフル稼働で頑張ってます。

少しはパートナーである夫が手伝うまでとは言いませんが、時間やちょっとした事をシェアしても良いのでは?

って思います。

 

小生に幼少期の記憶が無いが故に、子供に思い入れをしてしまうかも知れませんが。

ですが、幼少期の記憶ってかけがえのない財産だと思うんですよ。

両親誰しもが理屈抜きで子供が可愛いし、かわいがる時期だと思うんです。

一緒の時間が少しでも長いほうが良いに決まってる、って思います。

 

小生が良い事をしているとか、そういう事ではなくて。

働き方や生き方が多様になってきた21世紀だからこそ、コミュニケーションやワークライフバランスを再考する必要があるのでは?

と考えています。

それが次の世代を担う子供たちに伝えるべき事なんじゃないかな?

って真剣に考えています。

 

他意は無いので、

子供を持てた人の発言だよね?!

なんて事を言われる筋合いも議論もありません。

子供がいる、いないではないです。

いる人もいない人も、

  • 生きていくこと
  • 社会貢献すること
  • 生活するために働かねばならないこと

基本的な事は変わりません。

そんな議論をする程度であれば、ある意味差別とも思えます、妬みにも思えます。

そういう後ろ向きな発言をしていたら何かが変わるのであれば、百歩譲りますが、そんな事を言っても何も変わらない人が大半だと思います。

前を向いて生きていくんです、それが知能が発達した「人間」だと思います。

 

独身でいる事、パートナーと結婚する事、子供を授かる事、自分が働く事、全ての事に「意味」や「使命」を感じて、考えて生きましょう。

という事が言いたいのです。

 

周りから見れば何でも無い事かも知れませんが、記憶が無いって事がトラウマのようになっています。

また、毎日色んな事を考えるようになり、前向きに生きる事が出来るようになった証拠だと思います。

 

そんな貴重なターニングポイントを迎える事が出来るようになった家族、熊本県南部の関係各位に感謝する次第です。

だからこのエリアの為に日々頑張ろうと思います。

 

ではでは。